親子でサバティカル in Malaysia ー学校教育はもう要らないかも?ー

【旅の締めくくり:マレーシアで自然体で生きる親子との出会い】
今回の旅でお会いするのがとても楽しみだったのが、クアラルンプール在住の野本響子さんと健太君親子。

ある方からご紹介いただき、元々は響子さんとだけお会いする予定でした。以前、以下の記事を読み、息子さんの健太君についても色々と伺いたいと思っていましたが、なんと!幸運にも健太君ご本人にもお会いすることができました。

教材はYoutube!?マレーシアのフリースクールで「好き」をつきつめる健太君の新しい学びのかたち

この春から日本でいう中学校二年生になる健太君。小学校二年生の時にのびのび才能を伸ばせる環境を求めて、もともと交流していた家族がいたマレーシアに響子さんと二人で移住しました。今は日本で暮らすお父さんももうすぐマレーシアに移住するそうです。

さて、待ち合わせ場所の駅に現れた野本さん親子。健太君は少し恥ずかしそうに、でも笑顔で挨拶してくれました。その後は移動中もずっと会話が止まらない健太君。私も聞きたいことを次々に質問してしまいました。

私:学校は今春休み?
健太君:お母さんの仕事のツアーに付き合ってバックれ中。でも、博物館巡りが本当に面白い。
響子さん:ちょうどメディア関係者向けのツアーの仕事があって、健太も楽しいんじゃないかと思って。興味や質問が沢山あって、博物館巡りもいつもツアーの最後尾で時間がかかるんです。

小さい頃から色々なことに興味を持って大人を質問攻めにしていた健太君。日本で通っていた保育園では先生に恵まれて、彼の興味をどんどん引き出し伸ばしてくれる環境にありましたが、小学校に入ると一変。「みんなと同じでなければならない」「正解のみを求められる」学校が本当に苦痛になってしまったそう。そこで、ご両親が相談し、フリーランスのライターとして仕事をしていた響子さんと健太君が二人でマレーシアに移住することにしたそうです。

現在、健太君が通う学校はプログラミングや理数に特化したホームスクール。日本のフリースクールのような感じで、自由でありながらカリキュラムも一応あるそう。それでも、自分の好きなことを自分のやり方で勉強することができ、どんどん才能を伸ばすことができるそうです。

「どんなことを勉強しているの?」という問いに、「例えば、アリの行動のアルゴリズムを探ってプログラミングするとか。」と健太君。

そこから、フラクタル図形、カオス理論、Python、JavaScript、などなど、他にも色々な関数やら座標やら、用語が出てきましたが、難しすぎてよく分からず。とにかく、すごい!楽しい!というワクワクが伝わってきました。

そんな中、三男がプログラミングでロボットを作っているという話をすると、
「へー、どんなのやっているの?」と健太君が三男に質問。

「アーテックっていうブロックでロボット作って、それでスクラッチに似たようなアプリでプログラミングして赤外線センサーとか色センサーとか使って動かしてる。」と自信無さげに答える三男。

すると、「おお!!いいねえ!スクラッチもそこからコードを書いたらプログラミングだから、すごいよ!今からそれやってたら大丈夫だよ。きっと理系だね!」と健太君。

とても難しそうな話をしている健太君に褒められた三男は「関数もわかるよ!」とちょっと自慢気でした。

もともと数学好きで勉強大好きな健太君かとおもいきや実は普通の子どもと同じように、勉強自体が好きな訳ではないそう。でも、「得意」と感じることが勉強へのモチベーションを高める鍵となっているようです。

「数学とか勉強ってそれ自体は面白くないじゃないですか。でも、それに対してどうやってモチベーションを持てるかだと思う。最初はクラスでなんとなく、みんなよりちょっと数学ができるなあと思ってたら、マレーシアでは自分でそれをどんどん面白くできる環境があるんです。僕の学校では、自分でテーマを見つけて、掘り下げてどんどんいけるんです。難しいからもうちょっと大きくなってから、なんて言う大人はいないし、正解を求められることもない。」

テーマやヒント、アイディアは先生や友達や他の大人と話したり、YouTubeから面白い動画に行き着いたりするそう。

「最初はヒカキンとか見てるけど、そこから面白い数学の動画に行き着いたり、Ted Edで面白い動画を見たり。数学がちょっと得意だから、こんなのもできるかなあってアイディアが浮かんできて、それを学校でできたら、友達より早く問題が解けたり、すごいプロジェクトができたり。それを友達に教えたり。つまり、自慢できるっていうのが大きなモチベーションで、もっとすごいことやりたい!って思うようになって、どんどんやりたくなるんですよね。」

響子さんご自身のブログにも「もう学校教育にこだわる必要なないのかもしれない」というエントリーがあります。

もう学校教育にこだわる必要はないのかもしれない

以下、抜粋。
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学校では追求できない勉強を、夢中になってやってる子達が集まっています。
試験や大学合格のための勉強ではないのです。

これが本当の学びというものなんだろうなー。

彼は学位のために大学に行くかもしれませんが、行かないかもしれないですね。
一日中数学やっていて、もうほぼ数学者になっちゃったみたいだし。
多分、彼が決めるのでしょう。

マレーシアの子供達に圧倒されっぱなしです。
日本にも、こういう教育の自由があれば救われる子供がたくさんいると思います。
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さて、その後、会話は学校や教育に展開。

「日本は金色のメッキでコーティングされているような社会」

「見えているのに、見えないふりをするのが日本の大人。子どもはね、大人が考えてるよりずっとなんでも分かってるんだよ。隠そうとしたって、仮面みたいにしたって、そんなの全部わかってる。」

「日本の人間関係はウニの集まりみたい。みんなトゲトゲがあって、そのトゲが重なり合って支え合ってるんだけど、その重なりが崩れると人間関係も崩れる。すごく攻撃的ことを言ったりする。マレーシアでは攻撃的な子はほとんどいない。」

「マレーシアの人は家族がみんないい関係だし、人がとにかく優しい。だからトラブルが起きない。みんな他の人のこと気にしないし、自分もどう見えるか気にならない。」

などなど、次々と繰り出される健太君視点の鋭い指摘に圧倒されました。

一方で、健太君のいう通り、確かにマレーシアの人たちはとても優しいけれど、その中でも人種による「違い」も垣間見えたことを話すと、響子さんがマレーシアの制度や文化について分かりやすく説明してくれました。

その上で、「もちろん、制度的には様々な違いがあり、民族や立場も違うからみんながみんな満足というわけでもない。でも、民族や立場が多様なだから違いがあるのは仕方がないこと。その中で人としていかに対等であるかということを一人ひとりが大切に思っているんです。

だから、相手が店員さんでも誰でも上から目線で文句を言ったり要求したりすることなんてない。イスラムの文化の影響が強く、人に優しくすることはきちんと自分に返ってくると考えているからだと思います。」と教えてくれました。

お二人と話していて、また、それ以外にもお会いした皆さんのお話から日本とマレーシアの大きな違いは「人」の捉え方。

親として、職業人として、大人として、子どもとして、こうあるべきという「役割期待」が強い日本はその役割期待で人を見たり、時には自分自身を見たりする。さらに、社会における競争の原理が過剰に働き、それに伴って社会の役割期待も大きくなり、結果、人が期待と現実の乖離に苦しむ。

一方、マレーシアは、役割ではなく、その人ありのままを受け入れる。社会においても教育においても競争ももちろんあるけれど、人としては常に対等。多様な文化の中で教育や生き方の選択肢も多様で、個人の価値観にあった生き方ができるし、それを社会規範的にどうこう言われることもない。

「でも、日本はとても面白い国なんですよね。アニメの文化とか、観光とか、文化資源もいっぱいある。外から見ていると面白いんだけど、中にいると本当に大変だと思う。」

と、響子さんと健太君。10年前に日本に戻ってから感じている私の息苦しさもそこにあるのかなあと感じました。

ひとしきりお話したあと、一緒に通称ブルーモスクと言われるスルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・シャー・モスクを案内していただきました。とにかく、迫力と美しさが桁違いのモスク。モスクは世界4番目の規模を誇り、2万4千人が一度にお祈りできるそうです。

モスクの中でも、建物の幾何学の模様や歴史に興味津々の健太君。

日本に何度も行ったことがあると言うガイドのおじさんが日本語の本を片手に時々一生懸命日本語を使いながら案内してくれました。

三男も「今まで見たモスクの中で一番すごい!」と感動していました。ということで、壮大なモスクとマレーシアの人の温かさと、そこに自然体で暮らす素敵な野本さん親子との出会いが今回の旅の旅の締めくくりとなりました。